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三菱一号館美術館
三菱一号館美術館
〒100-0005 東京都千代田区丸の内 2-6-2


三菱一号館美術館コレクション〈U〉
トゥールーズ=ロートレック展
Toulouse-Lautrec, Albi-Paris
Maurice Joyant, I'héritage de I'artiste
本コレクションは、画家が生前まで手元におき、後に友人で画商のモーリス・ジョワイヤンに引き継がれ、代々ジョワイヤン家に伝わっていた作品群のうち250点余の版画作品を三菱一号館美術館の開館に向けて2007年に当館初のコレクションとして収蔵したもので、初公開となります。
本展では、19世紀末パリ、モンマルトルを華やかに描き出した代表的なポスターや、画家の芸術の革新性をもっとも顕著に示すリトグラフの数々から、およそ180展の作品を選りすぐっての紹介です。これらのまとまったリトグラフコレクションを通じて、ロートレックの独自性と、現代にも通じるグラフィック・アーティストとしての造形感覚を検証します。

会期: 2011 10/13(木)〜12/25(日) 展覧会は終了しました。
会場:
三菱一号館美術館
主催:三菱一号館美術館、朝日新聞社

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トゥールーズ=ロートレック展
トゥールーズ=ロートレック展
(ポスター制作者:服部一成)


― “三菱一号館美術館”所蔵のロートレックの作品を一堂にご紹介です ―
【展覧会の構成】
本展では、三菱一号館美術館とアルビのトゥールーズ=ロートレック美術館との姉妹館提携を記念し、三菱一号館美術館所蔵のポスター・版画コレクションに加えて、ロートレック美術館より、家族と過したアルビ周辺での日々やジョワイヤンとの友情を示す油彩画等を展示し、画家の心の拠り所であった故郷アルビの街とパリ、モンマルトルの歓楽街での創作活動を対比的に再構成しての紹介です。
《アルビのカステルヴィエル陸橋》
〜アルビ周辺風景と家族〜
トゥールーズ=ロートレックは南西フランスの街アルビにて、名門貴族の家に生まれ、父親やおじの影響を受けながら、幼少時から周囲の人びとや動物デッサンを通じて早熟な才能を発揮した。

《アルビのカステルヴィエル陸橋》 1880年 油彩、板
トゥールーズ=ロートレック美術館、アルビ
Musée Toulouse-Lautrec, Albi, Tarn, France

《エグランティーヌ嬢一座》
〜ポスター作家としてのデビュー〜
ロートレックは、カフェ・コンセールで人気を博した、モンマルトルのスターたちを心から愛してその個性を巧みに捉えて作品にしたが、スターたちもまた、ロートレックの作風の大胆な色彩と斬新な構図を好み、お互いにその名声を高めあったのである。


《エグランティーヌ嬢一座》 1896年 リトグラフ、ポスター

《『ザ・チャップ・ブック』誌》
〜世紀末文化と制作活動〜
モンマルトルで名声を得たロートレックは、1889年に創刊された総合雑誌 『ラ・ルヴュ・ブランシュ』 の発行人ナタンソン夫妻など、そのサロンに出入りした文学者や音楽家らとも交流した。さらにアメリカの文芸雑誌 『チャップ・ブック』 等も手がけ、制作の幅を広げた。

《 『ザ・チャップ・ブック』 誌》 1895年 リトグラフ、ポスター

《彼女たち(Elles)》
〜女性たちへの眼差し〜
1896年、娼婦たちの日常の場面が主題となる11点の版画からなる100部限定の版画集《彼女たち(Elles)》を制作。日本の浮世絵の影響も摂取しつつ、さまざまなスタイルと技法を駆使したこの版画集は、ロートレックのリトグラフの最高傑作とも言える。

《彼女たち(Elles)》 1896年 リトグラフ

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック (1864-1901)
Musée Toulouse-Lautrec, Albi, Tarn, France
略 年 譜
1864年(0歳) ロートレック家はフランスでも有数の貴族であり、母方のセレーラン家もこれに劣らぬ名家で、アンリは両家の新世代を担う最初の子供として誕生する。
1874年(10歳) 父は、健康とほとんど大きくならない身長を心配して、アンリに馬術を習わせる。学校では素晴らしい成績で進級したが、ほとんど通学ができず、退学を余儀なくされた。
1883年(19歳) コルモンの画塾はモンマルトルの丘にあり、夜はカフェ・コンセールやキャバレーで、彼の生活の中心になってゆく。アデール伯爵夫人がボルドのマルロメの城館を買い求め、ロートレックは夏を母親と一緒に過ごす。
1886年(22歳) ゴッホがコルモンの画塾に入ってくる。この時ゴッホは33歳であった。ロートレックはゴッホに惹かれ、親しくなってゆく。
1896年(31歳) 飲酒癖はますますひどくなり、時々中毒症状を起こす。女優のマルセル・ランデに情熱を抱き、石版画を何点か制作の後、彼の作品の頂点のひとつとなった 《ボレロを踊るマルセル・ランデ》 を完成。娼婦たちをモデルに石版画 《彼女たち》 を制作する。
1900年(35歳) ロートレックは断続的に仕事を続ける。オペレッタ 《ジプシー女》 のためのポスターを、また友人の愛人であるマドモワゼル、マルグーアンの肖像画を描いた。
1901年(36歳) ロートレックはほとんど食べられず、痩せ細り、芳しくない健康状態であった。それでも酒を飲み娼家に通うことをやめなかった。両親や友人たちの見守るなかで、36年の短い生涯を終えた。
1922年     アデール伯爵夫人はアトリエにあった全作品を、アルビ市の美術館に寄贈。
トゥールーズ=ロートレック家というのは十字軍のエルサレム攻撃に参加したほどの古い家柄で婚姻によってフランス、スペイン、イギリスの王家とも関係をむすんでいる大貴族である。

お問合せ:03-5777-8600 (ハローダイヤル)
展覧会サイト:http://mimt.jp/lautrec2011/
美術館サイト:http://mimt.jp
主催:三菱一号館美術館、朝日新聞社
後援:フランス大使館
特別協力:トゥールーズ=ロートレック美術館(アルビ)
協力:エールフランス、J-WAVE

参考資料:Press Release、他。
※写真撮影は全て、主催者の許可を得て行っております。
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